やっぱり不信感が・・・

2008.05.18 Sun

ダライ・ラマ14世や 赤い法衣をまとったチベット仏教の僧尼たちに対する なんの根拠もなしの不信感はまえにも書いた

今回の 『四川 チベット大地震』 は命名の通り チベット民族の多くが被災し犠牲になった
一瞬にして親を失った子供 子供を失った親 家や家族を失った膨大な数の人々の 悲しみ 不安 ストレスははかり知れない

なんとかストレス障害などのケアのためにも その経験と知識の豊富な先進国の医療チームを速やかに受け入れるべきなんだろう


しかし このど素人は 避難所の様子や 救援物資を奪い合うように殺到する様子の映像を見るにつけ その場に あの赤い法衣の僧尼の姿が見えないのが不思議でしょーがない

宗教なんてのは庶民の苦しみや悲しみの拠り所 心の支えになるもので そうでなければ存在価値もないと思う

僧侶たちは 3〜4日飲まず食わずでも大丈夫だろーよ そのくらいの修行はできてるはず そうでなきゃ あの大勢の僧侶たちが日々のうのうと修行(もどき)に明け暮れている意味がなかろう

被災地の救援活動のボランティアの先頭に立つとか 避難所で嘆き悲しむ被災者の心を慰めるとか やることはいっぱいあるだろう 宗教者には利害や政治の思惑は関係ないんだから

人権問題がどーのとデモの先頭に立つことより 宗教者本来の庶民の心の支え 心の拠り所になる事のほうがよっぽど大切なんじゃないのか それが宗教者の使命だろうと思う
なにやら 自分たちの人権が絡んでいなければ行動しないのか なんて穿ってしまうというもの

こんなトンでもない状況のとき ダライ・ラマ14世は ヨーロッパで宗教集会を開いてるという
「 騒乱で多くのチベット人が死亡した時と同じ痛みを感じる とても悲しい事だ 」 などと・・・
訪問を歓迎する地元の幼稚園児を抱きしめるダライ・ラマの大きな報道写真を見ると
このオッサンは なに考えてるんだろう と思ってしまう

トンでもない数の同胞が まだ瓦礫や土砂に埋もれているとゆうのに なんとも他人事の言動に見えてしまう

救援活動に参加し被災者の心をケアするか それができないならせめて 静かに犠牲者を弔い 見つかっていない人々の生存を祈ったらどうよ
ダライ・ラマ14世の寝食も忘れての誠心誠意の祈りなら通じるかもしれないじゃないか


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  1. 2008/05/18(日) 17:14:53|
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