山鹿素行
2007.05.17 Thu
この平和ボケの時代 倫理観も道徳心も薄れ 私利私欲に走り 堕落していくは自明の理。親も教師も公務員も政治家も おのれが安泰ならば 取り立てて 真理だ 正義だと騒ぎ立てる事も無い。
誰も彼もが 子供までもが 人権だ 個性だと 己の欲ばかりを主張する。
徳川幕府も開設して50年60年と経つと もう戦も無く 泰平の世に変わっていく。
武力を必要としない世の中で 武士たちは 行政官としての役割に変わっていく。
幕臣たちは国家公務員 藩士たちは地方公務員。
いわゆる官僚 役人である。
放って置けば 堕落が始まるのは世の常。
そんな時 大名や武士たちに 儒学 軍学を教える 『 山鹿素行 』 という人物がいた。
彼は泰平の時代における武士の役割を説いた。
兵法も 武士としての心構え 道徳論に傾く。
武士に生まれた以上 当然武士としての職務がなければならない。何の職務も無く飯を食らっているだけでは侮辱されても返す言葉がない。
されど泰平の世 武をもって主君を守るという本分がなくなってしまった。では 何をもって武士の本分とするのか。
そこで 素行は
『武士は民の師であり 指針でなくてはならない。日常身を慎み いさぎよく 恥を知る心を忘れず いついかなる事があろうとも国の安泰を保ち 民の平和を守る。その大切さと進むべき確かな方向を指し示してこそ 武士の威厳は保たれる。』
と説いた。
民の見本となるべく 内面の道徳律を高めようとしたのだ。
《忠・信・義》の教えである。
『武士は常に自分を顧み 主人を得れば誠心誠意仕え 同僚には信をもって接し 独りを慎んで義に心を集中することにある。』 と。
つまりは 江戸時代の武士は 生産にたずさわらないがゆえに 官吏として 公のために生きるものとして 庶民の模範となる行動美学が求められたのだ。
現代において 政治家 役人 教師 警察などは とりわけ庶民の模範 となる 行動美学 が求められるだろう。
また 子供に対する大人にも 当然 行動の美学が求められるはずだ。
この “ 行動美学 ” は “ 武士道精神 ” と深く関わってくる。
“恥知らず” で “卑怯” な 不祥事や事件が後を絶たない日本
未来を救うのは 平成の 『 山鹿素行 』 の出現である。
どー思う?

