余計なお世話
2007.03.16 Fri
某宅の庭に 樹齢40〜50年にもなろうかという ソメイヨシノ がある。大きく横に張り出し 隣の有名な食品会社の社員用通路の上一面を覆っている。
ある日 その会社の社員と思われる中年の男に『この木は何ですか?』と訊かれた。
『サクラです』
『あ サクラですか・・・』
いかに落葉の時期であるとはいえ 大木のサクラ 幹肌・枝ぶりなど見れば 何の木かはおおよそ分かろうというものだが しかもこのソメイヨシノは40〜50年もの間 毎年毎年春には満開の花を 秋には紅葉が足下を彩ったはずなのだ。
このど素人 (毎日のようにこの下を行き来していただろうに なんと心にゆとりの無い注意力散漫な男だろう) などと彼を罵る気は毛頭ない。
人にはそれぞれいろんな自然との関わり方があってよいと思うからだ。
花の美しさに惹かれ開花を心待ちにするもの 花見でイッパイが待ち遠しいと心待ちにするもの 一つ二つ咲きはじめたのを見て季節を知らされるもの 何年もその下を歩いていて あるときふと その大木に心が留まりサクラだった事に気付くもの。
自然とのかかわり 樹木とのかかわりなんてそれで良い。
だからこそ サクラの開花時期を気象庁なんぞに予想してもらう必要はないと思うのだ。
このど素人 未だかってサクラの開花を気象庁の開花予想に頼った事は無い。
通勤の時や散歩の時 辺りにあるサクラの木を眺め つぼみの固さを見て 「まだ当分先だな」 とか 「もうじきだな」 とか 「今年の冬は暖かだったからな」 とか 「ここ2〜3日寒の戻りで寒いからつぼみが・・・」などあれこれ思いをめぐらす。 これこそが一つの楽しみであって 開花予想などまったく余計なお世話なのだ。
したがって 気象庁の開花予想が間違っていようが合っていようが そんな事どーでもいいということになる。
こんなばかばかしい事はもうやめたほうが良かろう。謝る必要もない。
開花関係者が困る って それ誰のこと?
関係者というなら 自分の目でつぼみを見て 自分の手で触ってみて 自分の五感で開花の時期を感じて そうやってはじめて サクラの花からの恩恵を受けられるというものではなかろうか。
どー思う?

