首をかけても・・・・・
2007.03.11 Sun
袴田事件もと裁判官 『袴田さんは無罪と確信していた』 と告白
の ニュースには かなり引っかかる。
1966年静岡県 強盗殺人放火事件 焼け跡から刺し傷のある4人の遺体。
同社工場の従業員 袴田巌を逮捕。
1968年 静岡地裁 無罪主張も 死刑判決
1980年 最高裁 無罪主張も 死刑確定
上告 棄却
再審請求 棄却
即時抗告 棄却
2004年9月 最高裁に特別抗告 現在に至る
というもの 冤罪の可能性があり支援者も多い。
今までこの事件になんの興味も関心も持っていなかったこのど素人などが
今更にわかに 事件や裁判の内容に云々口を挟む資格もないが。
しかし今 注目を浴びている 熊本典道(のりみち)元裁判官の涙ながらの告白には 違和感を覚える。
1966年の静岡地裁で 死刑判決を書いた3人の裁判官のうちの1人で
『 当時から無罪と確信していたが 他の2人に押し切られた 』 とは。
なにを 今頃・・・
である。それから39年も経っているのだ。
告発するなら 遅くとも 1980年最高裁の死刑確定の時だろう 遅くともだ。
死刑確定後 精神に異常をきたし始めているという袴田巌死刑囚の人生を考えるまでもなく
決して 熊本氏のせいで などと言うものではないが いかにも39年は遅すぎる。
いやしくも裁判官という聖職を志した者ならば 一命をかけて正義を貫こうという気概も覚悟も持っていたはずだ。
『無罪を確信していた』 などと(いけしゃあしゃあと)今頃になって。
裁判官として 守秘義務遵守 だったのか 職を失う事を恐れたのか どちらにしろ
正義の執行(人命)の重さと 比べられるものではあるまい。
なぜ 覚悟を決めて 首をかけても正義を貫かなかったのか と言いたくなるのだ。
他人事だと思って・・などと言ってはいけない。
何度も言うが 裁判官という聖職を選んだ以上 その崇高な理念も覚悟も持っていたはずなのだ。
定年前の69歳 己の人生はまがりなりにも ほぼ “まっとう” しておきながら 『定年前に一度ぐらい良いことを』 とは いったい何なのだ その言い草は・・・。
袴田死刑囚は71歳を迎えたというのに・・・・・
有罪を信じて判決文を書いた 他の裁判官2人とはちょっと違う。
この熊本典道氏は 己の良心に背いたのだ。
もちろん この冤罪問題の 一刻も早い解決を祈って止まないが・・・
なーんか いやなものを見た気分である・・・。
どー思う?

